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高松高等裁判所 昭和26年(う)187号 判決 1952年9月25日

控訴人 被告人 砂野靖夫

弁護人 佐々木一珍

検察官 高橋道玄関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役弍年六月に処する。

原審における未決勾留日数中五拾日を右本刑に算入する。

但し本裁判確定の日より五年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人佐々木一珍の控訴趣意は別紙記載の通りである。

控訴趣意第一点について。

本件記録を調査するに昭和二十六年一月十九日午前十時の原審第二回公判期日につき被告人に対し召喚手続のなされた形跡のないこと所論の通りである。右は刑事訴訟法第二百七十三条第二項第六十二条の規定に違背しているけれども、原審第二回公判調書に徴するに被告人は右公判期日に出頭し被告人及び弁護人は右の点につき何等異議を述べずして審理を受けて居り、右手続違背についての責問権を抛棄したものと見られるから、これによつて右違法は治癒されたものと謂わなければならない。従て右召喚手続の違法を主張する本論旨は採用できない。

同第二点について。

本件記録を調査するに本件起訴状によれば公訴事実第二の(1) 乃至(6) はいずれも「被告人が酒の売掛代金を集金してこれを業務上保管中自己の遊興費等に費消して横領し」となつているところ、原審は訴因変更の手続を経ないで原判示第二の(1) 乃至(6) の事実においていずれも「被告人は酒の売掛代金を集金して業務上占有中自己の遊興費等に使用するため着服横領し」と認定していること所論の通りである。(以上犯罪の日時場所横領金額等を省略したが原判決の認定は犯罪の日時、集金先、被害者、横領金額等の点につき公訴事実と同一である)。

仍てかかる場合訴因変更の手続を要するか否かの点につき考察するに本件訴因も原判決の認定事実も共に業務上横領事実であつて犯罪の構成要件は同一であり且つ犯罪の日時、集金先、被害者、横領金額等の点につき両者は同一であるけれども(犯罪の場所は異る)前者は所謂費消横領であり後者は所謂着服横領であつて均しく横領であるとはいえ両者は不法領得の意思発現の態様において異るものがあり犯罪行為の類型を異にしていると謂わなければならない。また訴因が費消横領であるか着服横領であるかは被告人の防禦に相当影響を及ぼすことであり、訴因が費消横領である場合裁判所がこれを着服横領と認定するには訴因変更の手続を必要とするものと解するを相当と考える。従つて原審が本件につき訴因変更の手続を経ないで原判示第二事実において着服横領の事実を認定したのは違法であると謂わなければならない。

然らば次に訴因変更の手続を要する場合であるに拘らずその手続をしないで判決において訴因と異る事実を認定した場合刑事訴訟法第三百七十八条第三号に所謂審判の請求を受けた事件について判決をせず、審判の請求を受けない事件について判決をしたこととなるか否かの点につき考察する。訴因制度を採る新刑事訴訟法の下においては裁判所の審判の対象は訴訟手続的には一応公訴事実に明示された訴因に限定されるけれども、公訴事実の同一性を害しない限度において訴因の変更、追加等が許されているのであるから(刑事訴訟法第三百十二条参照)審判の範囲は実体的には公訴事実全体に及ぶものであり、刑事訴訟法第三百七十八条第三号に所謂「事件」とは訴因を指すものではなくして「公訴事実」を指すものと解するを相当とする。従つて裁判所が公訴事実に示された訴因と異る事実を認定しても公訴事実の同一性を害していない限り審判の請求を受けない事件について判決をしたものとはいえない。今本件の場合につき観るに訴因は費消横領であり原判決の認定は着服横領であるけれども前記の如く犯罪の日時、集金先、被害者、横領金額等は両者同一であつて公訴事実の同一性を害していないことは云う迄もない。従つて訴因変更の手続を経ないで裁判所が訴因と異る事実を認定しても公訴事実の同一性を害していない限り絶対的控訴理由である刑事訴訟法第三百七十八条第三号に該当するものとは解せられず、右は訴訟手続における法令違背であつて刑事訴訟法第三百七十九条に従い判決に影響を及ぼすか否かによつて控訴の理由があるか否かを決しなければならないと考える。仍て進んで本件の場合訴因変更の手続を経なかつたことが判決に影響を及ぼしているか否かの点につき考察するに、原審第二回公判調書に徴するに同公判において被告人は裁判官の問に対し「第一の窃盗事実が発覚してやけを起しどこかへ逃げようと思つて集金した金を着服した」旨答えて居りまた原審が適法に証拠調をした被告人の司法警察員及び検察官に対する各第二回供述調書に徴しても被告人は情婦大杉美代子と岡山方面へ駈落ちするため主家の得意先より集金した原判示第二の各金員を擅に着服した事実を窺うことができ、その他本件記録を検討しても原審が訴因変更の手続を経なかつたことにより被告人の防禦に実質的に不利益を及ぼしていることは到底認められない。従て原審が訴因変更の手続をしないで着服横領の事実を認定したのは訴訟手続上違法たるを免れないけれども、本件の場合右違法は判決に影響があるとは認められないから原判決を破棄すべき理由は存しない。

叙上の理由により本論旨は結局採用できない。

同第三点について。

論旨は原判決の量刑は不当であり被告人に対しては刑の執行猶予が相当であると謂うのである。仍て本件記録を精査して考察するに本件は原判決認定の如く窃盗二回、業務上横領六回の外住居侵入強盗未遂がありその罪責は決して軽くなく原審が本件につき懲役二年六月の実刑を科したことを以て必ずしも非難することはできないけれども、被告人は原判示の如く酒造業中田泰則方に雇われていたものであるところ主家の清酒を窃取し且つ集金した酒売掛代金を横領し更に同人方に押入つて強盗をしようとしたものであつて本件の被害者はいずれも主人である右中田泰則であること、被告人はかねて肺疾患のため自暴自棄となり人生に対する希望を失つて一時の享楽に走り本件各犯行を重ねるに至つたこと、しかし検挙後においては相当改悛の情の窺えること、未だ若年にして是迄刑事上の処分を受けたことがないこと、右被害者は被告人に対し寛大な処分を希望していること(尚被告人は現在両肺浸潤のため入院治療中であるが空洞を生じて居り近く外科手術を受けることになつている)その他論旨主張の諸点を彼此斟酌すれば、本件については実刑を以て臨むよりも相当期間刑の執行を猶予して病める被告人に対し人生に光明と希望を懐かせ以て更生を期待することが寧ろ妥当な措置と思料される。従て論旨は理由がある。

仍て刑事訴訟法第三百八十一条第三百九十七条により原判決はこれを破棄し、同法第四百条但書の規定に従い当裁判所において自判することとする。

罪となるべき事実及びこれを認める証拠は原判決と同一である。

(法令の適用)

窃盗の点につき各刑法第二百三十五条

業務上横領の点につき各刑法第二百五十三条

住居侵入強盗未遂の点につき刑法第百三十条第二百三十六条第一項第二百四十三条第五十四条第一項後段第十条第四十三条本文第六十八条第三号

刑法第四十五条前段第四十七条本文第十条(判示第二の5の業務上横領罪の刑に併合罪加重)

刑法第二十一条第二十五条

刑事訴訟法第百八十一条

仍て主文の通り判決する。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 浮田茂男)

弁護人佐々木一珍の控訴趣意

第一点原審は第二回公判期日即ち昭和二十六年一月十九日の公判期日を被告人に通知せずして公判を開廷している。

第二点原判決は、起訴状には「遊興等の用途に費消横領したもの」としているのに「遊興等に使用する為め着服横領したもの」と判示している。しかしこの両者は公訴事実を示す訴因の要素即ち日時、場所、方法等を当然異にするので公訴事実(訴因)の変更手続を経るに非ざれば能わないと思料されるところ、原審においてその変更手続を採つた形跡を発見し得ないのである。

すなわち原判決はこの点において公訴事実について裁判せず起訴なき事実について裁判した違法あり到底破棄を免れない。刑訴法第二五六条参照。

第三点被告人には左記諸般の事情を参酌するならば刑の執行猶予の言渡をするのを相当と思料する。しかるに事茲に出でなかつた原判決は量刑不当の誹を免れず到底破棄を免れない。(イ)被告人は左肺は完全に駄目、右も相当侵されている程の病人で到底刑務所生活に堪えない。(ロ)本件犯行の動機も全くこの病気の為めに将来に希望を失い一時的失心状態に在つたことに起因している。(ハ)しかるに刑務所に入つてから心機一転生に対する執着を呼び戻し真人間に還り目下療病の傍らざん悔の生活をしている。これをしも再び刑務所へ入れるに忍びない。(ニ)被告人は未だ嘗つて刑事上の取調べを受けたこともないのみならず、学生時代から成績が良く香川師範に入学したが肺患に罹り、中退の止むなきに至つたが療病の傍ら村の青年の中に在つて模範青年として立働いていた。(ホ)被害者の中田泰則の家には昭和二十四年十二月から雇われたが雇われ中は主人につかえること実に忠実であつたのみならず、月給三千円のうち二千円迄は父親の許に送つていた程であつた。(ヘ)被告人の家はもとは村内で上位の家庭であつたが近頃は家運が傾いている上に八人の家族を擁し生活は豊かではないが、一族から犯罪人など出したことは未だ嘗つてない。(ト)被害者中田泰則に対して被告人側から被害弁償を申出たところ寧ろ同情して嘆願書を提出してくれた程である。(チ)罪名は元来重大なものもあるが、本件犯情のみから見ても被告人に元来危険性があるとは思われない。(リ)本件犯行は数種、数回に及んでいるが、いずれも被害者はもと忠実に勤めていた雇主の家である。すなわち前述の通り病気の将来を悲観して自暴自棄となりいわば一時的失心状態であつたことを推認するに足るのである。(ヌ)以上のような次第であるので被告人に対しては刑の執行猶予の言渡を為すべきものと思料されるところ原審では被告人は結果において薄情な待遇を受けたのである。すなわち、被告人と同村に育ち家族は交際もしていたというような関係で当初の係裁判官が回避するところとなり、その為というわけでもなかろうが第二回公判期日の通知も受けず、右公判廷において一潟千里で審理を終つたが、判決言渡期日前に被害弁償嘆願書、上申書その他の情状を証する文書を提示して弁論再開の私的交渉をしたが既に業に事件につき判断を決めていたらしい裁判官の態度に遇い敢て再開申請をしなかつたというようた事情もあり被告人には可哀相なのである。(ル)そこで若し許されるならば当審において左記証人を御喚問願えれば、既に述べた事情は原審提出の証拠で略明瞭だが、更に明かとなり被告人に取つて真に有難き幸福であります。証人中田泰則(被害者)同亀井勇(鶴羽村長)同砂野薫

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